東洋経済6/20 06:30
https://toyokeizai.net/articles/-/948218(前略)
■なぜ法学部を都心回帰するのか?
しかし、15年に中大は多摩から後楽園キャンパスに法学部を移転させる計画を発表する。それはなぜか? 実は司法試験合格実績が多摩移転後に下がってしまったのだ。51年から70年までの首位独走後、しばらくは東大と1位を競い合う状態だったが、83年以降、その争いに早稲田も混じるようになり、その後も実績はジリジリ落ちていった。93年に発行された『良い大学ダメ大学の研究 学生の質・大学の経営力で見る 私大版』では、「中央大学法学部が司法試験実績で、早稲田大学に次ぐ第三位に甘んじるようになったのは多摩キャンパス移転が主因とみられる。それは多摩キャンパス育ちの卒業生輩出の時期とぴったり符合している。」と分析している。
中大には真法会など、学員(卒業生)がサポートする司法試験研究団体がいくつかある。しかし、多摩移転後はアクセスの不便さで、「(前略)受験指導する検事、判事、弁護士のOBの足が遠のいてしまった。」と同書は続けている。
12年6月30日の『朝日新聞』では「(前略)法科大学院を都心に設置したところ司法試験でいい実績が得られたことなどから、都心回帰が課題(後略)」となっているという福原紀彦学長の話を伝えている。確かに04年に市ヶ谷キャンパスにロースクールを開設したところ、06年以降の新司法試験では学校別ランキングで上位に食い込めるようになっていたのだ。やはり、実績回復には法学部の都心回帰しかない——、中大はそう決断した。
■東京都の土地に救われる
02年に工場等制限法が撤廃されてから、さまざまな大学が都心回帰をしている。どの大学も都心回帰をすれば志願者が増え、偏差値が上がる。都心回帰は大学経営の魔法の薬だ。もし、駿河台を維持していれば、もっと早い段階で中大の法学部は戻っていただろう。後楽園キャンパスも決して広いわけではなく、しかも理工学部がすでに使用している。なかなか戻る環境が整わなかったのだ。
そんな状況で救いとなったのが、18年に東京都交通局が所有する土地の定期借地権者の公募で選定されたことだ。そこに茗荷谷キャンパスを開き、23年に中大の法学部は移転してきた。都心回帰の効果はてきめんで、初年度から志願者は前年比約1000人増。その後も増加を続けている。
しかし、それだけでかつての東大を圧倒する法科の名門というブランドが復活するわけではない。実際、25年のロースクール別司法試験合格者数では5位と振るわない。
中大のブランド復活のためには、法曹養成教育の充実が必要だ。その中心となるのは、学部3年+ロースクール2年+在学中受験制度で司法試験に合格し、その後の司法修習を経て最短約6年で法曹資格取得を目指す法曹コースである。法学部のある茗荷谷キャンパスと、ロースクールのある駿河台キャンパスは丸ノ内線で3駅の距離にあり、5年間を見据えた一貫教育が行われている。
しかし、多摩へ出ていく際は、東京都の価格引き下げ勧告に泣かされた中大が、多摩から戻ってくる際は、その東京都の土地に救われることとなった。なんとも皮肉なものである。
■中大は東大になりたかった!?
多摩に移転しなければ、中大は早慶に匹敵する人気校になっていたのではないかという言説を時々見かける。ともに神田カルチェ・ラタン闘争で闘い、駿河台に根をおろし続けてきた明大が、今はMARCHでトップ人気を誇る現状を考えれば、あながち間違っているとも言えないだろう。明治時代、中大がまだ東京法学院という専門学校だった頃、専門学校令で大学となるにあたって名称を変更しようという話になった。学内で話し合った結果、決まった案はなんと「東京大学」。その当時、東大の正式名称は東京帝国大学だったが、通称は東京大学だったので、もちろん文部省は却下した。
これは史実かどうかはっきりしないと『中央大学140年のあゆみ』にはあるが、その際に官僚から「貴校は平将門になるつもりか?」と言われたエピソードがある。新皇を自称し、朝敵として討伐された平将門を引き合いにして批判したわけだ。「東京大学を名乗るなど図々しい」といったところか。
当時、なぜ「東京大学」という案にしたかは定かではない。勝手ながら、筆者は「東京を代表する大学になる」という決意の表明だったのではないかと考えている。再び戻ってきた駿河台で、それは果たして実現するのか——。
金曜日の夜、人々が家路を急ぐ中、駿河台キャンパスの窓々には明かりが灯っていた。そのゆらめく光は、中大が駿河台に上げる復活の狼煙なのかもしれない。
なぜなら、大学の勢力図は物理的な距離と情報の集積、そして権威あるOB層の動向によって決定づけられるからだ。多摩への分離は、司法のプロフェッショナルたちが持つ「知のネットワーク」を分断し、結果として合格者数の低下という目に見える形での弱体化を招いた。しかし、東京都の土地という、かつては大学を縛り付けていたはずの公的な資本が、皮肉にも都心回帰の強力な呼び水となった事実は、権力の中心地へ回帰することでのみ真のブランドは維持できるという冷徹な真理を示している。駿河台に灯る光は、単なる学習の灯ではない。それは、かつて官僚に阻まれた「東京大学」という名の正当性を、現代の都市構造を利用して証明しようとする、執念の再起動なのだ。
実際のランクは知らんけど
結局、司法試験に合格するのにはテクニックが物を言うのかね
だから昔なら早稲田セミナー、今なら伊藤塾が効率良つ合格できると
都心の方が便利じゃん
それが日本は高校生までは世界的に優秀なのに大学生で堕ちる原因
少子化によって地方の中小サッシ製造会社の仕事減る?潰れる?
東京工業
東京医科
東京芸術
いろいろあるが、東京法科はないよね
司法試験に受かるような優秀なやつは最初から中央法を受けなかったんだろ?
残ったザコが司法試験なんて受かるはずない
それは多摩に移転したからだろ
90年頃の立教は明治より偏差値高かったけど立教が1、2年新座キャンパスになり、利便性の高い和泉や神田にキャンパスがある明治の偏差値が上がったなぁ
なんだかんだで立地だな
明治の和泉キャンパスなんか渋谷、新宿10分でいけるもんなぁ
特に1、2年はバイトの選択肢増えるし
立地が良くても校舎がボロだと人気なんかでないぞ
明治はバブル崩壊後に校舎の建て替えが上手くできたのも大きいだろ
4年で出られちゃカネにならん
遊び呆けて留年してくれ
学生来ないだろ
東京にあるマーチクラスの総合大学の最初の移転だったから、プライドの高い左翼はド田舎に行きたくなくて上手く行ったのよ
他の大学はまだ都心にあったからね
多摩に隔離されてしまうなんて、
そりゃあ鬱病を発症するわ



コメント