【歴史】戦時の湯川博士「転身すべき時が来た」 日米開戦に高揚、真理から軍事研究へ、日記に胸中 「F研究」にも参加

1 : 2020/08/13(木) 12:29:15.30 ID:WaxUddl89

日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士(1907~81年)が太平洋戦争中につづっていた日記の一部内容が、8日までに明らかになった。日米開戦に高揚する様子や詳細が不明だった軍事研究への関与が記されている。一方、物理の基礎研究に打ち込む姿も浮かび上がり、戦後に核兵器廃絶を目指して平和運動を展開した湯川博士の歩みを考える上で貴重な史料といえそうだ。

 日記は遺族が寄贈し、京都大基礎物理学研究所の湯川記念館史料室が所蔵している。これまでに敗戦や原爆投下があった1945年などの日記が公表されている。今回は湯川博士と親交があった慶応大の小沼通二名誉教授(89)が41~45年の日記と関連資料を分析した。

 日本軍の機動部隊がハワイの真珠湾を奇襲して太平洋戦争が開戦した1941年12月8日の日記は、早朝の臨時ラジオニュースを聞いた場面から始まる。京都帝国大(現京都大)の教授だった湯川博士は、新聞の夕刊が日本軍の戦果を伝える「幸先よきニュース」で埋まっていると喜び、「却(かえ)って久しい間の暗雲晴れ、天日を望むが如き爽快の感に満つ」と記す。

 平和運動に人生をかけた戦後とは異なる印象で、小沼名誉教授は「湯川さんは当時、一般的な日本人と同じ感覚を持っていたようだ」と指摘する。

 41年末の日記では「歳末の感『真の勇者』」と題して、戦時下における自身の貢献について思案している。「『真理探究の道をどこまでも行く』というより他に、より有効に国家に報いる方法はないのである」との結論に達している。

 実際に湯川博士は「物理学入門」「宇宙線」などのテーマで雑誌に執筆することをはじめ、科学の基礎研究や教育に力を入れている。

 しかし戦時体制が強まるにつれ、心境に変化も生じたようだ。43年8月23~31日の分をまとめて書いた日記では「転進すべき時が来た」と書き残し、44年から軍事研究に携わるようになる。小沼名誉教授によると、軍事研究関連の会合や視察について、日記には44年に27回、45年に12回の記述があるという。航空機や電波兵器、噴射推進機など多岐にわたる。参加しても、ほとんどが専門外のため1回で終わっている。

 湯川博士は原爆開発の可能性を探るために海軍が京大に委託した「F研究」に戦時研究員として参加したことが知られている。軍事研究について小沼名誉教授は「湯川さんは理論物理学者として根本的なことを考え続けたタイプで、何かを実用化するという仕事は不向きだった。取り組もうとはしたが、貢献できなかった」としている。

レス1番の画像サムネイル
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京都新聞
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/325976

2 : 2020/08/13(木) 12:30:32.46 ID:3JqKM+kg0
大本営発表?
3 : 2020/08/13(木) 12:31:16.89 ID:KTgA8Z3u0
中間分子論だったか
4 : 2020/08/13(木) 12:31:53.34 ID:6btPWZON0
転身だァァッ! 気力だァァッ!
64 : 2020/08/13(木) 12:56:06.76 ID:0pr9c2r/0
>>4
ダイレンジャースレにはならんかやっぱり
5 : 2020/08/13(木) 12:32:29.54 ID:4D0Do2sj0
変身すべきも今
6 : 2020/08/13(木) 12:32:34.10 ID:s9lk/Igc0
IPSの山中先生と同じで基礎研究に向いてるけど応用研究からっきしだったってことだべ
18 : 2020/08/13(木) 12:36:50.32 ID:dASl8DY+0
>>6
7 : 2020/08/13(木) 12:33:04.89 ID:ChJLJWw20
天皇皇后両陛下ばんざあああああああああああい
8 : 2020/08/13(木) 12:33:34.02 ID:ieh4WYnr0
完成したら風船爆弾に搭載してニューヨークを核攻撃する計画だった
9 : 2020/08/13(木) 12:33:40.40 ID:VB2kSERX0
セガサターンしろ
10 : 2020/08/13(木) 12:33:55.08 ID:3zBb62ZA0
湯川秀樹という研究者がいたのに、
なぜ日本で原爆を開発できなかったのか?
日本が原爆を作れてれば、敗戦国になる事はなかっただろう
湯川秀樹は無能だったといえる
26 : 2020/08/13(木) 12:38:59.39 ID:Q3IGjXjO0
>>10
作ってた
予算と人員不足で開発競争に負けた
36 : 2020/08/13(木) 12:42:37.04 ID:nsOPNwwT0
>>10
原爆は科学者1人の頭脳だけで実現出来る代物ではなかったから
アメリカのマンハッタン計画は日本の国家予算級のプロジェクトだった
37 : 2020/08/13(木) 12:43:11.61 ID:+W6joMUP0
>>10
仁科芳雄をググッてから言え。
49 : 2020/08/13(木) 12:49:39.38 ID:D2O/irjU0
>>10
頭悪いなあ(笑)
11 : 2020/08/13(木) 12:34:04.05 ID:UFZMsdRu0
フラストレーションの爆発としての対米戦争だったのは間違いがない
12 : 2020/08/13(木) 12:34:09.84 ID:ZlQN5mXC0
安倍ちゃんは今年も靖国行かないの?
13 : 2020/08/13(木) 12:34:38.23 ID:lJQhSMbR0
朝日新聞の陽動にのせられたおっさん
14 : 2020/08/13(木) 12:35:14.11 ID:S0xPPIQf0
埋めたり、じゃないかな。
●は「た」

字が汚い自分は読める?

15 : 2020/08/13(木) 12:35:17.07 ID:vwtuP1/U0
イナズマンFに変身
16 : 2020/08/13(木) 12:35:55.71 ID:rUz/ctfa0
湯川博士が戦争中、超音波兵器の開発などに従事していた事は何かの本で読んだ事が
あるね。
あの当時、日本の科学者は総出で兵器研究に従事していたらしい。
欧米のレーダーに使われた「八木アンテナ」の八木博士も風船爆弾の開発に従事していた。
日本が戦争に負けたのは欧米の科学技術の差が軍部が認識できず、無謀な戦争に
踏み切った事でしょう。生産性も科学力も何もかも桁外れの米国と戦った事が過ち。
25 : 2020/08/13(木) 12:38:25.10 ID:UF25+MCb0
>>16
ふつうの頭があれば19倍強い相手に喧嘩売らないよね
34 : 2020/08/13(木) 12:42:04.96 ID:qoA2/lLI0
>>16
高出力の電子レンジ砲みたいなやつだっけ?
全く使い物にならなかった
17 : 2020/08/13(木) 12:36:46.66 ID:S0xPPIQf0
この転進は何の意味だろう?
今思うと撤退かとおもうけど、当時の日本人は、前向きな言葉と思ってた節があるね。この文章からすると。
だからこそ、撤退、退却の隠語にしたんだろうけど。
19 : 2020/08/13(木) 12:36:53.80 ID:Gid8xPcy0
クズじゃん。完全に戦犯だわ
20 : 2020/08/13(木) 12:37:11.15 ID:StueZQ8c0
原爆研究していた戦犯国の我々日本人、
恥ずかしくなる!!
もう一発食らいたいか?そうなのか?
これが国際社会の日本への共通認識だね
21 : 2020/08/13(木) 12:37:42.26 ID:jGcjk0g90
無能でヘタレで責任逃れの日本のアカデミズムが日本を潰した。
ノーベル賞の数は10倍以上。
軍部の精神主義と日本のアカデミズムの権威主義が
アメの原爆開発を先行させた。
22 : 2020/08/13(木) 12:37:57.48 ID:5mDFsPaJ0
生産性も科学力も上げようとしなければいつまで経っても上がらないんですよw
23 : 2020/08/13(木) 12:38:16.36 ID:iCUpJyCF0
F研究でウランカーバイドを作るために軍部に品薄気味だった砂糖を大量に用意させ
終戦時にみんなで分けて持ち帰ったのは有名な話
35 : 2020/08/13(木) 12:42:36.76 ID:iCUpJyCF0
>>23
英語の核分裂FISSIONの頭文字
つまり原子爆弾の開発研究
24 : 2020/08/13(木) 12:38:19.22 ID:dVCAYQmE0
敗走ではなく、転進だ!
27 : 2020/08/13(木) 12:39:03.90 ID:5mDFsPaJ0
始めから敵わないと諦めていたらそれこそ奴隷まっしぐらじゃないですかw
28 : 2020/08/13(木) 12:39:13.30 ID:S0xPPIQf0
昭和50年ころまでノーベル賞受賞者が少ないせいで神様扱いされてた印象があるね。
今のノーベル賞受賞者ももちろん凄いけど、日本にとっての希少性があったんだろうね。
29 : 2020/08/13(木) 12:39:37.02 ID:d1d6tKV80
F研究って、何よ?
31 : 2020/08/13(木) 12:41:21.84 ID:aGhZUnjZ0
>>29
世界ふしぎ発見!
38 : 2020/08/13(木) 12:43:12.19 ID:s9lk/Igc0
>>29
陸軍指示で理化学研究所が担当したニ号研究の海軍/京都大学版
30 : 2020/08/13(木) 12:40:45.03 ID:D2O/irjU0
湯川秀樹って別に聖人君子でも何でもないしさあ
その報を受けて生じた感慨なんて当時の「大多数の」一般日本人と同じだろ、そんなの
32 : 2020/08/13(木) 12:41:30.23 ID:5mDFsPaJ0
そして最初から諦めろと言っていた連中がいざ諦めた環境になった時に
支配者に対してブーブー文句言うだけの簡単なお仕事が始まるんですw
39 : 2020/08/13(木) 12:43:57.68 ID:cU9lKMgI0
鉱物資源のない日本では、その時点で実現は無理。

作る原理はわかってたんだよね。

42 : 2020/08/13(木) 12:44:19.59 ID:UFZMsdRu0
人口を抱えきれなくなって資源求めて海外に出て戦争になったわけだけど
実際には戦後何の問題もなく増えていった
戦前のあの危機感はなんだったんだって当時の人はならなかったのかな
46 : 2020/08/13(木) 12:48:14.54 ID:TqoObzYL0
>>42
土地ではなく交易に執着するべきだったということ
よくアカが使う神の目線では
52 : 2020/08/13(木) 12:51:06.04 ID:X2xhLfBK0
>>42
日本が作った製品を買ってくれた欧米のおかげで
1億2000万人が食べてこれた
資本主義陣営に取り込まれて本当に良かった
43 : 2020/08/13(木) 12:45:03.32 ID:I8lO30fM0
物理学者なんて社会人としてはガキ同然だよ
簡単にネトウヨ化する
44 : 2020/08/13(木) 12:46:00.84 ID:aW5TumaY0
風見鶏のアスペ野郎だな
45 : 2020/08/13(木) 12:47:40.95 ID:cU9lKMgI0
「却(かえ)って久しい間の暗雲晴れ、天日を望むが如き爽快の感に満つ」

ほとんど同じ感想を、高村光太郎や小林秀雄も言ってるな

48 : 2020/08/13(木) 12:48:54.41 ID:KC6TIxNc0
まあ日本は神の国だと普通に思っていただろうね。
53 : 2020/08/13(木) 12:51:15.13 ID:yEDo5p7n0
>>1
ジャップに原爆を作らせなかったアメリカ様に感謝!
55 : 2020/08/13(木) 12:51:43.01 ID:UFZMsdRu0
結果としては誤想だけど、開戦当時の国民はこのままじゃ飢えて死ぬ、産業が細って死ぬってフラストレーションがあったわけで
開戦勝利でスカッとした気持ちになったのはそれが解消される道が開けたと思ったからなんだよな
60 : 2020/08/13(木) 12:54:15.50 ID:S0xPPIQf0
>>55
アメリカに制裁されてからはそうかもね。
戦争に負けたいまの日本の状況を当時の人に予測しろというのも酷だけど。

軍部に責任押しつけて知らんぷりはよくないとはおもう。

67 : 2020/08/13(木) 12:57:14.28 ID:fvpHLWnt0
>>55
コロナ禍でもカラオケに行きたがる心理と同じかな
57 : 2020/08/13(木) 12:52:33.91 ID:HQ/z9/Gh0
ブーメラン韓国
58 : 2020/08/13(木) 12:52:48.76 ID:+Zr3Lssh0
原子核爆弾を米国に先立って完成すれば政局は逆転すると信じていたわけでな
先に落とされたのはショックだっただろうな
59 : 2020/08/13(木) 12:53:19.76 ID:cU9lKMgI0
戦争が始まると、知識人、庶民を問わず、興奮とともに一種の爽快感をもってしまうというのは、どこも同じみたい。

第一次戦争勃発の欧州でも、みんな「ウキウキ」してたらしいね。

61 : 2020/08/13(木) 12:54:27.15 ID:cU9lKMgI0
第一次戦争 → 第一次大戦
62 : 2020/08/13(木) 12:55:21.47 ID:Z8+1Es6s0
これが普通
戦後の価値観で戦中のこと語ってる奴は全員嘘つきだよ
63 : 2020/08/13(木) 12:56:01.34 ID:fvpHLWnt0
>>1
偉大な学者は反戦主義であって欲しい、当然そうでなければならない、みたいなバイアスを感じます
68 : 2020/08/13(木) 12:57:37.23 ID:99qBMYH70
一瞬、セガの湯川専務にそんな過去があったのかと思ってしまった

コメント

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